“ *Brut ”
‥あのシャンパン・ブリュットのように、極辛口で、決して甘すぎる
ことなく、生粋で、自然のまま、かつ輝きに満ち、香り高い泡立ちを
持ち合わせた‥
これからここで、私たちの心、意識、思考、精神といった内面を見つ
め、掘り下げ、あらわにさせながらも、その本質、そして生きること
の真理というものを見極めるために使っていただけるような、ひとつ
の神聖な空間をつくっていけたら‥と思います。
もしかすると、時に荒削りだったり、もうすでに書いたり話したこと
のある内容と重複することもあるかもしれませんが、大切なことは何
度でも書いていくつもりですので、その辺はどうぞ大目に見てくださ
い。
さて、この数年ずっと見つめてきたことなのですが、人間というのは、
心身がのびやかで、解放的、くつろいだ状態というのが、自然で本質
的な姿であるはずなのに、実際の私たちは生きる中で、絶えず葛藤や
矛盾といった精神的ストレス、そして不調・不安・不満をいとも簡単
に抱えてしまいがちです。
そして、そこから身体を壊してしまったり、周りとの関係にも大きな
歪みが生じていたりします。もちろん、それを改善しようと、いろい
ろとやってもみるのですが、しかし完全に解放されるということはな
く、結局そのうちまた繰り返してしまうか、別の新たな問題が出てき
てしまうようです。
でも、人間の暮らし、生きるというのは、そんなものでしかないので
しょうか? どうにかこうにか、うまく折り合いをつけていくような、
それはもう仕方のないことなのでしょうか? そのことがどうも腑に
落ちず、またこのような不安感を当たり前だと思ってしまう傾向にも、
ものすごく疑問を感じます。
世間的に、いわゆる一般的なもの、当たり前だとされているものは、
単にそう思い込まされていたり、暗に受け容れたりしているものなの
ですが、もし私たちがこの不調・不安・不満の本性、そして生きるこ
とについての真理を探究したいと思うのでしたら、この一般的なこと
にこそ大きな疑問を持ち、本当はどうなのか、自分自身で調べあげな
くてはならないでしょう。
では、まずはこの不調・不安・不満といったストレスから解放される
こと、精神の調和について、さらっと見てみることにします。
完全なる調和の状態というのは、不調和を引き起こしているもろもろ
が、完全に消えて無くなってしまわない限り、あり得ないことです。
けれどもあのモグラゲームのように、浮かんでは沈む問題を一個ずつ
ぽこぽこといつまでも叩き続けていてもラチがあきません。
では、どうしたらいいのでしょう? それには、ゲームの電源を探し
て、プラグを抜いてしまえば一発です。なぜならその固定されている
プラグこそが、問題のモグラたちを動かしている要因なのですから。
けれどもそれは、肉体の生命を絶ってしまうこと、死を指しているの
ではありません。私たちは生きることについて話しているのですから、
それでは本末転倒、全くのナンセンスになってしまいます。
ですが、そのプラグというのは、心理面で垣間みられる自我、「私」
のことなのです、と誰かに云われたらどうでしょうか? あぁそうな
んですか、じゃあ‥と、何も思い残すことなく、すぐにブチっとその
プラグを抜けるでしょうか?
いえ、私たちにそれはできないでしょう。なぜなら、たしかに「私」
は問題をたくさん抱えているもしれないけれど、そんな「私」にだっ
て夢や希望、数々の思い出、楽しいこと、嬉しいこと、いろいろある
のです。それにだいたいプラグを抜いて「私」を辞めてしまったら、
その後はいったいどうなってしまうのでしょう?
先に進む前に、まずここでお聞きしておきたいのは、今のように何だ
か不安定な自分の存在、周りとの関係、そして私たちの暮らしている
世界、そこに様々な問題が尽きないという事実に心の底から疑問を持
ち、その根本を突き詰め、理解したいという情熱と、その必要を感じ
ているかどうかということです。
まぁ、たまには感じる時もある‥ではなくて、本当にそのことに強い
関心があり、全身全霊で真剣にこのことに取り組みたいと思っていら
っしゃいますか?
これが*Brutでの、いちばん最初の、いちばん大切な問いかけです。
