9. 生命


ではここから、生命というもの、そしてそれがもたらす愛についての
核心に迫れるでしょうか? 誕生する新しい生命‥子供についてと、
親子の関わりについてを見てみましょう。
 
さて、あなたは「子供が欲しい」と思いますか? 欲しいのはなぜで
しょう? 女なら母親になるべきだからでしょうか? 自分の子供を、
愛する人との子供を見てみたいからでしょうか? 分身が欲しいので
しょうか? それとも子供が純粋に好きで、育ててみたいからでしょ
うか? 
 
また欲しくないのはなぜでしょう? 子供に関心が持てないからです
か? 大変そうだし、不安だからでしょうか? いろいろな面で育て
る環境にないからでしょうか? 
 
もしもあなたがまだ子供を持っていないのなら、自分の心の内をしっ
かりと見つめてみましょう。まだわからない、何となく興味はあるけ
れど‥と曖昧に云うのなら、産んだり、持つにはまだ早いのです。な
ぜなら産むことより、育てることが大事だからです。
 
放っておいても子は育つ‥ともいわれますが、その子の真のエネルギ
ーを損なわないためには、衣食住はもちろんのこと、暖かく保護され
る、愛に満たされた環境が不可欠です。
 
新たな生命を誕生させ、それを慈しみ、育むには、そこにいつも愛が
漂っていなければなりません。でなければ、その子は持って生まれた
はずの愛という感受性をどんどんと失ってしまうのです。そして大人
になった時、たったひとりでそれに気づくのは、非常に困難なことに
なってしまうのです。
 
この先、将来は未知で、何が起きるかわかりません。が、しばらくの
何年かの間はその子に寄りそうことになるのです。あなたはそれら全
てを用意できるでしょうか? 
 
もしあなたが自分自身のことも、愛のことも理解していないのなら、
ただの興味本位で、自分の楽しみで、片手間に持つべきではないので
す。子供は物ではありません。自由なひとりの人間であり、溢れるエ
ネルギーをたずさえた、大切な生命なのです。
 
もちろん誰もが云うように、産んでみなければ、育ててみなければ、
解らないこともたくさんあるでしょう。そこに私たちが学ぶべき、い
ろんな新しい発見や、気づきがあるでしょう。
 
しかし闇雲に行き当たりばったりで、もしも何かが起きた時、あなた
が迷い不安でいるなら、その時その子はあなたとそっくり同じ気持ち
を味わうのです。寂しく不安で、そして何よりもその子の心に、恐怖
を与えてしまうことになります。
 
一度染みついてしまった恐れや不安は、潜在的にその子の自我を強め
ることになり、それが本来生きるのに必要でないことは、共に見てき
た通りです。
 
子供は天真爛漫、いつもエネルギーに溢れています。興味をもつとす
ぐにやりたがり、学びたがり、遊び好きで、敏感です。けれどまた無
防備で、とても壊れやすく、何ものにも染まりやすいのです。
 
そこで彼らの心と身体を、全ての危険から守ると同時に、彼らの心に
自由を与え、邪魔をせずに、身の回りに起こるものごとを、自らの力
で理解させることができるでしょうか? 
 
彼らの持つ感受性を損なうことなく、情緒豊かで、思いやりがあり、
生き生きとし、人として何が正しく、間違っているか、何が美しく、
醜いことなのかを見抜くことのできる、真のやさしさという英知を持
たせることができるでしょうか? 
 
もしすでにあなたが子供を持っていても、生命の存在を深く理解して
さえいれば、何も問題はないでしょう。その時、愛と自由、感受性は
その子の周りに溢れているからです。刻一刻と変わるさまざまな変化
に、動じることなく、愛のもとに精一杯応じていれば、子供は自然に
安心を憶え、心配や恐れを抱くことなく、自分自身と、そして私たち
皆を信頼します。
 
しかし当然、子供たちは私たちの思いどおりにはならないでしょう。
それは彼らが生きているからです。生命は動き、変化に富んでいるの
です。
 
もし子供が、無表情で、ただ言うことに従うのでしたら、私たちはそ
の子の自発性を損ねてしまってはいないか調べてみましょう。過度の
積極性や消極性は、鈍感さの兆しかもしれません‥。好き勝手なこと
ばかりしたり、暴れたり、無気力に過ごしたりと、協調性を持てない
のなら、その子はすでに愛を失いつつあり、行き場を見失っているの
です。
 
子供に限らず、人というのはそれぞれに自由に動ける空間、スペース
が心の内にも外にも必要です。ですから、ひとり歩きできるようにな
ったら、親しいからこそ、近づきすぎることなく、離れすぎることな
く、愛がそこに通いつづけ、そして絶えないよう、自然に振る舞うこ
とです。そのようにお互いの自由、お互いの自然を見守ることはでき
るでしょうか?
 
子供はいつか持ちたいけれど、産み育てるのに、環境に不安だという
のなら、また、現在すでに子育てに迷っており、支えがほしいのであ
れば、まずあなた自身が愛を理解し、そして動くことで、その状況や
周りの環境を愛あるものに変えることはできないでしょうか? 何か
してもらうことだけを期待していても、ちっとも変化はありません。
 
そしてまた子育てに、孤立はナンセンスです。あなたが愛を忘れるこ
となく動けば、きっと誰かが手を差し伸べてくれます。そこには新し
くて、豊かな関わりあいが生まれることでしょう。
 
そして、もしも子供が大好きで、真に欲しているのにもかかわらず、
どうしてもその縁や機会に恵まれないのでしたら、自分の子供‥にこ
だわる必要はあるでしょうか? なぜまだ「私」にこだわるのでしょ
うか? 新しい生命に関わることは、自分の為ではないはずです。
 
真の子育てや教育に、自己的な努力や犠牲はまったくありません。協
調し、助け合いもしますが、それは依存ではありません。ただ、生命
への愛そのものから生まれ出るエネルギーが、あなたを押すのです。
それは子供と共に学び、喜び、泣き、笑い、常に真剣に取り組むこと
のできる真のライフワークとなるのではないでしょうか?
 
それら全ての理解の元に、もしもあなたが自分の子供を一生持つこと
はなくても、生命が愛そのものであることを知っていれば、子供への
無関心に陥ることもなく、あなたの内にある愛は、むしろ別の形や姿
を通して、きっと違った花の香りのように周りに漂うことでしょう。
 
生命はエネルギーです。ただし、お金や労働力をもたらすためのエネ
ルギーとして生まれるのではなく、愛をもたらすためなのではないで
しょうか? 生命こそが最も尊く、美しく、エネルギーに溢れている
のは、それが愛そのものの源泉でもあるからです。生命を通して、そ
れは表現されうるのです。
 
ですから子供たちがほんとうに愛に満たされて、自由に育つ時、自然
の本能である愛は枯れることなく溢れだし、そのエネルギーによって
自らの才能を見いだし、そして正しく働き、すでに在るものの発見や
解明、理論の形成などとは違った、全く新しいものを創造することが
できるでしょう。
 
私たちはそれを注意して守らなければなりません。自由と平和にどの
ような新しい精神が必要なのかがお解りなら、自ずと愛が基準となり、
子供の誕生へのナンセンスな経済的視線からも解放されます。
 
ただ産むだけで愛がなければ、その子は一生を不本意のままに終える
ことになるのです。なぜなら愛なしに育った子供たちが、今の社会を
そのまま引き継ぐ歯車の一つとなり、何の疑問も持たずにこの悪循環
で、澱んだ、無秩序な世界の継続に、加担してしまうことになるから
です。
 
これらのことに気づき、大きく周りを見渡せば、全世界いたる所での
破壊と防衛、虚勢のために存在する軍事施設や、その技術開発に使わ
れている資金、資源、人々の生命をはじめとする多くのエネルギーは、
全く不必要で無意味であることがお解りになるのではないでしょうか? 
 
そしてその全てを、生命を守り、育み、慈しむための環境、育児、教
育、医療などへと転じさせること、それも徐々にとか、限られた場所
でというのではなく、一気に地球全体へ、偏ることなくもたらすこと
が必要であることを感じられるでしょうか?
 
 

私たちが心の底から真に、自分の存在について、また関係することに
ついて、その本質が何であるかを見極め、その理解からのエネルギー
の流動が起こらない限り、再生はありえないでしょう。