それでは普段の私たちの思考、そしてイメージについても再び、その
プロセス、過程を注意深く見てみることにしましょう。その状態や内
容は、かなり複雑で入り乱れているかもしれませんが、今、その動き
をスローモーションで見ることはできるでしょうか?
そうすると、自分の思考を使うというのは、どのような場面において
も、現実と、過去のデータ貯蔵庫である脳との間を行き来する動きで
あると云えないでしょうか? それは、私たちが見たり聞いたり感じ
た数々の体験と情報を記憶し、またその寄せ集めから、今ここで必要
なものを引き出そうとする作用ではないでしょうか?
では実際に、あなたが何かを見た時、聞いた時、何気なくその名称や
感じたことを言語化し、表現するまでにはちょっとした隙間、タイム
ラグ‥それは目にも止まらぬ早さの一瞬かもしれませんが、そのよう
なものがあることにお気づきになるでしょうか?
あるいはまた、人と会話をしている時など、一度思いついた意見を、
とりあえず全部言わないと気がすまないような時はありませんか?
言葉も脳が学習したものです。それがABCでも、あいうえおでも構い
ませんが、インプットされているものから適確な内容を探し出して、
しゃべろうとする時、そこには自分の脳、記憶、過去へのアクセスが
あります。
つまりその瞬間というのは、今現在の現実からは、焦点が多少ズレて
いるのではないでしょうか? その時、私たちは自分の頭の中へ、つ
まり目の前の事実とは別の、限定的な空間に移動したということです。
私たちそれぞれが自分特有の記憶をもっており、日常では頻繁にそこ
へ行ったり来たりしながら生活している‥と云えるかもしれません。
ではもう一度、思考を引き出す時のプロセスというのを注意して見て
みましょう。何かに対するイメージや意見を持つ、言葉を通して何か
を言い表す、表現するというのは、自分の中で味わった体験の確認を
したり、その説明をするためではないでしょうか?
もし最初から自分でそれにきちんと気づいていたり、他の人に伝える
という目的があるのなら、その使い方は妥当でしょう。が、実際には
その必要のない時にも、やたら頭の中でベラベラとしゃべっていたり
はしませんか?
「あれをしなくちゃ、これをしなくちゃ‥」
「今日は何々があって、こうだった‥ 明日はどうなるだろう‥」
「あの人はああ云ったけど、私はそう思わない‥」
「ああするより、こうすればよかった‥」
「こんど誰々に会ったら、こうしてみよう‥」
などなど、内容は何でも構いませんが、いつも何かしらが気になって、
頭の中でそれらをこねくり回していたりはしないでしょうか?
思考は、自分が関わったさまざまな出来事を整理し、記憶したり、思
い出したり、またそれらをもとに何かを予想しようとするものですが、
それが勝手に動きまわってしまっているという状態は、自分の過去や、
知識の渦に巻き込まれているということであり、今現在には向き合っ
ていないのです。
とはいっても、私たちの肉体そのものはここにあるわけですから、簡
単に例えると、それは夢を見ているのと同じ状態なのです。
朝、寝床から起き上がっても、何かをしながらもの思いにふけってい
れば、あなたは夢見状態で、過去の記憶に埋もれているということで
す。たとえそれが、後々の予定や、将来の心配、願望、理想であった
としても、それはあなたが以前どこかで得た情報を、他の何かと比較
していたり、反芻してみたりしているだけで、やっぱりそれは過去を
用いた幻想にすぎないのです。
そのようにいつも過去の空間にいたり、脳がだらだらと動いている状
態の中、たった今起こっていることを全的に把握したり、事実や真実
を察知することはできるでしょうか?
夜眠っていて、夢を見ている時にトントンと起こされても、朦朧とし
てしまって、機敏な行動などできないでしょう? それと同じで、ま
さにそれは鈍感だということなのです。私たちがほんとうに目覚め、
気づくのは、大きな音や地震が起きたり、何かにぶつかったり、ハッ
とするほど身の危険を感じる瞬間でしか、なくなってしまってはいな
いでしょうか?
「起きているのに眠っている? そんなことありえないのでは?」と
思うなら、普段の自分を見つめてみましょう。思考は、隙あらば動き
回ります。全く何も考えずに、頭の中で一切しゃべらずに、なおかつ
自分の行為と周りの状況に、常にはっきりと気づいている状態で過ご
すのは、それはそれは難しいことだとお解りになるでしょう。
そうなると、私たちの日常における思考の使い方について、疑問を持
ち始めはしないでしょうか? なぜなら、そのように惰性で自覚なく
動いている思考というのは、無駄なエネルギーを使い、疲れたり、ス
トレスが溜まる要因でもあり、また何かに悩んでいる時でも、幻想を
生んだり、今すぐそこに確実な解決がもたらされることはないように
感じるからです。
私たちは、生まれてから今までの間、何ら思考に疑問を持つことなく、
色々な条件や、自分の生活などにもすっかり慣れ親しんでしまってい
るので、その使い方を正しく調和あるものに変えるのは、到底、容易
ではないように思えます。
事実、これまでずっと自分の思考に、知識に、経験に頼ってきました。
いろんな知識や体験が糧となり、また考えることで問題を解決したり、
自分を成長させることができると思ってきたのです。
しかし過去に学んでいない未知のことは、いくら頭をつかって考えて
みても解りません。また人と関わる際に、自分だけの思考やイメージ
に頼った思いこみをしたり、決めかかった視線で相手の人を見ていれ
ば、その関係にはおのずと歪みや誤解が生じてくるでしょう。
人間の行動に、思考が必要な場合があることは確かです。が、改めて
その使い方を見つめなおすことはできるでしょうか?
