さて、そもそも喜怒哀楽をはじめとする、感情や思考とはどのように
生まれるのでしょうか? 誰も何のきっかけもなくわざわざ怒ったり、
泣いたり、笑ったりはしないでしょう? 何かが起こって自然に心が
そう傾くのです。
では、それは自然なので、問題ないのでしょうか? そのように見え
なくもありませんが‥。いえ、しかしよく注意してみると、それが引
き起こされる反応への条件とは、人によってさまざまで、異なっては
いないでしょうか?
同じものを見ても、こっちは笑ってるのに、そっちはそうでもない‥。
同じことをされて、こっちは嬉しいのに、そっちは嫌がっている‥と
いった具合に。それはその状況や対象を、単に私たちが生理的に受け
つける、受けつけないといった理由で片付けられるのでしょうか?
ではこの感情や思考を生む条件とは何でしょう? それは大きく云う
と世界のいろんな場所で、民族による、さまざまな特殊的文化が存在
するようなものです。私たちは生後、ある一定の環境で育つと、その
土地の風土だったり、伝統習慣などに馴染まされてゆき、文化の色づ
けがなされます。例えば言語、国籍、宗教、服装、食べ物などがそう
です。
また文化のほかにも、家族を中心として身近にいる周りの人々の影響
を受け、いわゆる性格や気質、私たちがさまざまな出来事に応じる反
応・態度・行動のパターンが、知らず知らずのうちに形成されます。
遺伝的要素も多少はあるでしょうが、そのようにして、その環境の中
で暮らすための知恵や、適応能力などを身につけてゆくのです。
それでは、私たちの住む場所や、家族構成、環境が変わってしまうよ
うな機会が訪れた時は、どうなるでしょうか? 生きられなくなって
しまうものでしょうか?
最初はその変化に戸惑い、辛いこともあるかもしれません。ですが、
そこから目を逸らさず、それがまぬがれない状況だと理解すると、そ
れを受けとめ、いかに行動しようかと考えるようになってくるのでは
ありませんか?
そこには学習し、適応していく脳の働きがあります。つまりそれが、
思考のプロセス‥新たな条件への対応であるといえるでしょう。この
ようにして大昔から、私たち人間は生き抜いてきたのです。
けれども現在、それぞれの考え方、感じ方、好き嫌いが異なるのは、
こうした環境による条件や影響の違いがとても大きいから‥という理
由や説明にとどまり、私たちの関係がそこで止まってしまうのはなぜ
でしょう?
世の中には、いろいろと複雑で、未解決の問題があるけれど、人、家
族、国、文化や宗教、皆それぞれが違ってあたりまえ、だから仕方が
ない、終わり、と‥。
いえ、待ってください。脳はそこにあります。私たちは健康であるな
ら皆、通常この脳を持っており、身体的な機能性はほぼ同じなのです。
それは、それぞれの異なる条件に対して柔軟に働いて、感じ、考える
ようにできています。その中身や傾向の違いで、いわゆる個性と呼ば
れるものがあるかもしれませんが‥。
しかし一体なぜ、理解することへの扉を閉め、そこで終えてしまおう
とするのでしょうか?
言語を学ぶ、会話をする、勉強をする、仕事をしたり、道具や機械を
用いたり、どこかへ出かけたりなど、人間が行動する時には思考を働
かせ、記憶や情報を使うことが必要な場合があります。
しかし今、私たちは愛について調べているところです。ですからここ
からまた人との関わり合いにおける思考の可能性、そしてその必要性
についても、より一層慎重に探ってゆくことにしましょう。
