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色づいた葉っぱたちは、風に吹かれて一斉にざわざわひらひら、また
人知れずそぅっと枝から離れ、地面へと落ちていきます。日中の明る
い光の中、降りしきる雨の中、少しずつ冷ややかさを増してくる空気
の中、夜のひっそりと静かな闇の中、裸になった木々たちは全ての枝
をさらしながらも凛とした立ち姿で、これからの冬を迎えようとして
います。

私たちもまたこの一年、自分の心を裸にし、いろいろな角度からその
内側をぐっと深くまでのぞき込むことができたでしょうか? 習慣に
沿って常に繰り返される思考の動き‥蓄積し、比較・計量し、そこか
ら選択・判断・イメージするという、この一連の運動をしっかりと見
据えることで、無意識的な脳のルーチンワークに終止符が打たれたで
しょうか?  

いつの間にか固く根付いてしまっていた思想や観念、考え方、また心
の奥底に長年押し込まれていた数々の悲しみ、恐れ、ためらい、疑問、
わだかまり、こだわり、辛い思い出や、毒牙など、さまざまな葛藤は
解き放たれたでしょうか? それらの発生源を突き止める明晰な洞察
と、そこから生まれくる真の理解から、絶え間なく続いていた暗い影、
不安や緊張は、跡形なく消え去ったでしょうか? 

さて、脳の中では実際何か新しい変化がありましたか? それはハー
トと共鳴しているでしょうか? 心の中はいつも風通し良く、窓が開
け放たれていますか? 背筋はきちんと伸び、身体の調子を敏感に感
じとれているでしょうか? 笑顔で話せていますか? 気づくとしか
めっ面してたりしませんか? 

周りに対して、いつも真剣に耳を傾けていますか? 私たちの周りに
はどのような関係があり、そしてどのような環境や社会が表れている
か、広く見渡せているでしょうか? ざわめきや葛藤のない、全き沈
黙から見れているでしょうか? 

今いるところに、こころ通い合う温もり、ふれあい、静けさ‥そのよ
うな雰囲気が漂っていますか? 伸びやかに、下心なく、活き活きと、
時には注意深くためらいながらも、自分の仕事に打ち込めているでし
ょうか? 真面目になりすぎて、反対に身動きがとれなくなってしま
ってはいませんか? 私たちはただ完全に、何の執着もなく自由でし
ょうか?

自由とは、実のところどういう状態のことを指すのでしょう? 一般
的なその意味は、囚われのないこと、何にも縛られず、誰にも邪魔さ
れずに自分の意思で行動できるということでしょうか? もちろん人
がこの世で生きるのに、自由というのは最も大切なものだ‥と感じは
するでしょうが、うわべだけの印象で、適当にこの言葉を使うのでは
なく、注意深く、その真意に迫ることができるでしょうか?

現代の社会の中で、私たちのほとんどが「私」の自由を渇望し、求め
ています。昨今では特にそれを主張する傾向にもあるようですが、し
かし、これまでに私たちが求めてきた自由には、競争と闘い、防御と
囲い、また身勝手さ、だらしなさというものが常に混在しています。

そこでは、私たちの関係に絶えず無秩序が生み出され、その反動から
自由であることを押さえつけ、それを禁じるための制御や制度、さら
には自由への恐れまでも生じさせているのです。

そのような状態では、私たちの心身に密かに組み込まれている、脊髄
反射的、また衝動的に起こる攻撃性、残忍さや暴力、そして無責任な
楽観性といった問題は、決して解消されることがないでしょう。結局、
自由を求めているのが「私」であるのなら、それは常に断片的、分裂
的な動きを拡張させていく行為にすぎないのです。

もし私たちが精神的に、私個人だけの存在、安定と安全を願って、利
己的な行動をしているのであれば、そこで語られる自由には何の意味
もありません。なぜなら、それでは人はまだ「私」に捉われたままだ
からです。

関係の中にほんとうの意味での親密さがあり、また、真の協力が生ま
れるのは、人が、この「私」からも全く自由であるときだけです。自
由は主張したり、勝ち取るようなものではありません。それは、自ら
の内に全てを見据えることのできる静けさがあり、全く何の葛藤も執
着もない時のみ、現れるでしょう。

自由には、何の制御、制限もありません。しかしそこにはいつも自然
な秩序が伴っているのです。