人間は、どうやらすっかりこむずかしくなってしまったようです。科
学技術の革新よって、近年、世界はとてもグローバル化し、さまざま
な所でさまざまな分野の情報などが共有できるようになりました。し
かし、ありとあらゆることが明らかになってくると同時に、そこには
矛盾した、地球全体のアンバランスさも一目瞭然です。ではどうして
今もなお、以前から変わらない同じような愚行、状態が続けられてい
るのでしょうか?
自然破壊をはじめ、人口問題にエネルギー問題、飢餓や貧困、格差、
汚職や腐敗した政治、国境による分断、組織的支配の宗教、争い、テ
ロ、戦争‥。また、世間のあちらこちらにも、数多くの計りしれない
怒りや悲しみが、絶えることなくそこらじゅうに溢れています。
いろいろな場所や地域で、個人的に、また組織によって、それぞれの
問題に対処すべく諸々の活動や政策が行われているにも関わらず、私
たちはなぜ未だその全てから解放されることができないのでしょうか?
それらは分担しながら、時間をかけながら、徐々に解決されうる問題
なのでしょうか?
世界的に見て、また個々一人ひとりの日常にとっても、私たちはなぜ
こうも固く緊張し、心配や恐怖を抱えたままなのでしょうか? そこ
には愛がほとんど見当たらず、あったと思ってもまたすぐにしぼんで
しまい、その閃光が広く連鎖し、世界全体が覆われることは一向にあ
りません。
事実、グローバルなのは技術的なものや情報、知識だけで、本質的な
ものが全く失われてはいないでしょうか?
では、なぜそれほど愛がないのでしょう? どこでそれを見つけたら
いいのでしょう? しかしそもそも、愛とは何なのでしょう? もし
愛を見いだすことができたなら、私たちは新しく変わることができる
でしょうか?
人間である私たちに隠されている大いなる関心は、愛というものを理
解することなのではないでしょうか? 誰もがみな、ほんとうの愛を
知りたい‥、いつかはそれに出会いたい‥と思っているのではないで
しょうか?
それとも、そうは思っていないのでしょうか? では愛のない人生に
意味があるでしょうか? 誰とも親しく関わらず、冷たく閉ざし、孤
立して生き、そして死ぬことは、人間にとって、全く不自然なことで
はないでしょうか?
愛を知るのには、どうすればいいのでしょう? それは誰かに聞けば、
教えてもらえるようなことでしょうか? 愛という言葉は知っている
けれど、当然それは物質でもなく、目にも見えず、何がほんとうで、
何がほんとうでないのかもよく解りません。何となくそれを頭で考え
ようとすると、より一層解らなくなります。
けれども時折、私たちは確かにそれを感じ、心震わされることがある
のです。雄大で美しく、温もりがあり‥、それはもしかしたら人間存
在における真理に通じるものなのかもしれません。
人生の中で、一度もそれを感じたことのない人がいるでしょうか?
無視することはできても、人間の中には思いやりや共感、暖かさや優
しさ、微笑みなど、自然と湧いてくるものがあるのではないでしょう
か? それともすでにそれがわからない、また感じられないほど鈍感
になってしまっているでしょうか?
そこでもし、感じるということを忘れずに、ここで一緒に、真剣に取
りくめば、私たちはずっと奥深くまで探り、その真意を突き詰めるこ
とができるかもしれません。
そのために、ここではごく簡潔な言葉でもって表現していくことにな
るでしょう。が、どうかそれら言葉のもつ印象だけに囚われないよう、
注意してください。書かれた表面だけを舐めるのではなく、一行一行
を吟味し、ゆっくりと進むようにしてみてください。なぜなら、その
真意の探究は、私たちそれぞれが自分自身の内側を洞察してゆくこと
でもあるからです。
これは、何かを達成するための方法、法則、解答でも、主義や理想を
提唱したり、また幻想的なお話で、あなたを感化させようとしている
のでもありません。それではきっと、今までと何も変わらない現状が
続いてゆくだけでしょう‥。
そうではなく、ただ同じ人間として、愛というものの根源、そして生
きることの真理を共に、真剣に探ろうとしているのです。ですから、
もしあなたが本当にこれらのことに関心があるのでしたら、躊躇も気
遅れもせずに、先へと進むことができるのではないでしょうか?
さぁ、それでは始めることにしましょう。
